大判例

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仙台高等裁判所 平成2年(う)110号 判決

所論は,要するに,裁判所は,訴因については必ず審判をしなければならないが,訴因以外の犯罪事実については,公訴事実の同一性の範囲内にあっても,審判する権利も義務もないのであって,訴因と異なる犯罪事実について訴因変更等の手続を経ないで審判をすることは許されないといわなければならないのに,原判決が,原判示現金の供与を受けた日時,場所を「昭和60年12月16日ころの午後7時ころ盛岡市大通一丁目所在の飲食店「松花堂」において,もしくは同日ころの朝同市みたけ三丁目所在の被告人方において」と認定したのは,審判の請求を受けない事件について判決をし,もしくは判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反に当たるのみならず,更には,日時・場所について特定を欠くものであるから理由不備に当たり,あるいは判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認であるから,破棄を免れない,というのである。

そこで,記録を調査して,検討すると,被告人に関する本件公訴事実によると,被告人の現金受供与の日時・場所が「昭和60年12月16日ころ,岩手県盛岡市大通一丁目飲食店「松花堂」において」となっているところ,原裁判所は訴因変更手続を経ることなく,原判決において,右の日時・場所を「昭和60年12月16日ころの午後7時ころ盛岡市大通一丁目所在の飲食店「松花堂」において,もしくは同日ころの朝同市みたけ三丁目所在の被告人方において」と認定判示していることは,所論指摘のとおりである。しかし,原判決も説示するとおり,本件では,W1と被告人との間で現金の授受があったことは被告人も認めているのであり,その日時・場所が,昭和60年12月16日ころの午後7時ころの松花堂か,あるいはそのころの朝の被告人方のいずれかであって,それ以外の日時・場所ではあり得ないことは,関係各証拠に照らして合理的な疑いを容れる余地がなく認められる本件において,択一的認定の一方には公訴事実と同趣旨の事実を認定し,他方の選択肢については被告人の主張を取り入れ,それに沿った認定をしているものであって,被告人の防禦のために不利益となるものではなく,また,両者の日時・場所が近接し,しかも犯罪の意味,内容が基本的に変わるものでもないから,原判決の説示するように,訴因を変更しないでこのような択一的認定をすることも許されないものではないというべきであり,そのことはまた罪となるべき事実について合理的な疑いを越える証明を要求している法の趣旨に反するものでもない。更に,本件金員授受の日時・場所については,その限りにおいて具体的に特定しているのであるから,「罪となるべき事実」の記載として特定を欠くものとはいえない。したがって,現金授受の日時・場所について訴因変更手続を経ることなく択一的認定をした原判決は,審判の請求を受けない事件について判決をしたものでも,理由の不備でもなく,また,その手続に判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるともいえない。

もっとも,原判決が,W1の供述(以下,「W1証言」という)の信用性のすべてを排斥できず,さりとて被告人の原審公判廷における供述(以下,「被告人の供述」という)に沿って事実を認定することもできないとして,現金授受の日時・場所について択一的に認定したのは,事実の誤認であるといわなければならない。すなわち,関係証拠によると,W1は,別件の元滝沢村企画調整課長W2に対する贈賄容疑で逮捕された昭和63年11月8日当日,昭和60年12月中旬,W2に50万円を渡した翌日ころの早朝,被告人宅において,被告人に現金100万円を渡したと供述していたが,昭和63年11月11日以後は,一貫して,W2に現金を渡した日と同じ日の夜,松花堂で被告人に現金100万円を渡したと供述しており,このように供述を変えた理由は,W1においては,松花堂の名前を出せば同店や同店の関係者らに迷惑をかけることになると考えて当初被告人方と言ったが,現金100万円を渡した日時等を記載した手帳が既に警察に差し押さえられていることから真実を話すに至ったものと認められ,W1の供述の変遷の経緯は極めて自然であり,十分信用するに値するものといわなければならない。のみならず,W1は,司法警察員が実施した松花堂の検証に立ち会い,被告人に現金を渡した模様を具体的に再現していることや,押収されている手帳4冊及び鑑定書謄本4通によると,W1が使用していた昭和60年度の手帳には,時系列順にメモが記載され,その12月14日の記載に続く部分が切り取られているものの,同部分には少なくとも「12/16 1700」の記載があったと読み取れること,昭和61年度から63年度までの各手帳には,いずれも「60年12月16日」の日付と「1700 ホテル東日本」「1900 松花堂」の記載がなされており,これらの手帳が押収された当時,同各記載の末尾の部分がいずれも修正液で白く塗り潰されていたが,昭和61年及び昭和62年度手帳の同抹消部分には「T500 M1,000」という記載が,昭和63年度の手帳の抹消部分には「T50 M1,000」との記載があることが認められ,これら事実に,更に,昭和60年12月16日午後5時ころ,W1が前記W2課長と事前に約束を取りつけたうえホテル東日本で面談していること,W1は同日松花堂に席の予約をしていること,昭和60年度の前記手帳の切り取られた部分に続くメモの記載は,他の証拠によってその正確性が裏付けられていることなどの事実をも併せ考えると,W1が被告人に現金100万円を交付したのは,昭和60年12月16日ころの午後7時ころ松花堂においてであるとするW1証言は信用に値するものということができる。

原判決は,W1証言が具体的詳細で,被告人の面前で虚偽の証言をする理由も認められず,検証の際における現金授受の犯行態様の再現,前記のような手帳の記載等から,同証言にはある程度の確実さを感じさせるところがあるとしながら,被告人が当初から現金授受の場所を自宅玄関先と述べていて,これにはむげに退け難い説得力を感じさせるところが残り,W1自身,取調べの当初被告人の自宅で現金を渡したと被告人の供述と一致する供述をしており,これは偶然と見逃すには重要な供述の合致と考えざるを得ず,更には,W1が被告人に松花堂で現金を渡した後,約束していた友人と会ったと供述していながら,その友人が誰であるのか,どこで待ち合わせてどこの店に行ったか等について覚えていない旨や不自然な供述をしていること,及び,W1が本件金員の授受を昭和61年度以降の手帳3冊にその都度転記していることもなんとなく不自然に受け取られることなど,W1証言の信用性に微妙な疑いが感じられるとし,「被告人の供述を排斥したうえ前川証言をもとに認定する事実について合理的な疑いを容れる余地がないと言い切れるほどの信用性を有しているとまで断ずることはできない」と判示している。しかし,被告人は,逮捕された当日(昭和63年11月18日)の司法警察員に対する供述調書においては,W1から現金を受け取った場所を自宅玄関先としていたが,その後は松花堂と供述しており,その供述は,単なる記憶に基づくものではなく,関係者の供述や客観的資料等を参考として,動かし難い事実と関連させ記憶を喚起しながら供述しているものということができる。更に,被告人は,原審第1回公判期日における被告事件に対する陳述で,職務権限や現金授受の趣旨について否認しながら,現金授受の日時・場所については,昭和60年12月16日ころ松花堂でW1から現金100万円を受領した旨述べている。これに反し,現金授受の場所が被告人方自宅であるとする被告人のその後の公判供述の根拠は,要するに被告人の記憶がそうであるというに過ぎず根拠は薄弱である。

また,W1は,被告人に松花堂で現金を渡した後,友人と会う約束があったと述べながら,その友人の名前も会う場所もはっきりしていないと供述している点については,3年以上も前の行動について記憶喚起ができないことはやむを得ないことであり,しかも比較的人と接する機会の多かったW1にしてみれば,被告人と会った後の行動について明確な記憶がないとしてもあながち不自然とはいえない。更に,W1の被告人への贈賄行為について,次年度以降の手帳に転記したことについてW1が述べる理由は必ずしも万人をして納得せしめ得るものではないとしても,メモ魔といわれるW1が事件の発覚などを全く予想しない段階で被告人に多額の金員を贈るという特異な事項を備忘のため記載し,次年度以降の手帳にそれを符牒を使って転記しておくこともあり得ないことではなく一概に不自然であるとして否定し去ることもできないというべきである。

以上のとおり,被告人は,昭和60年12月16日ころの午後7時ころ,松花堂において,W1から現金100万円の交付を受けたとの事実が認められるので,原判決が犯行の日時・場所を択一的に認定したのは,事実を誤認したものといわなければならないが,右の択一的認定の一方には正しい認定となるべき日時・場所が含まれ,これと択一的とされた他の日時・場所の認定が不要となるに過ぎないから,前記の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえず,原判決破棄の理由とはならない。論旨は理由がない。

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